院長の群馬・前橋散歩1 泉沢町の小さな歴史を歩く ― 泉澤神社・丸山遺跡・石仏・村主の泉跡 ―

泉沢町の小さな歴史を歩く
― 泉澤神社・丸山遺跡・石仏・村主の泉跡 ―

先日、医院から南の方へ歩き、前橋市泉沢町に残る小さな史跡を訪ねてみました。

車で通っているだけではなかなか気付かない場所ですが、実際に歩いてみると、神社、古代の遺跡、江戸時代の石仏、そしてかつて湧水があった場所など、泉沢町にはさまざまな時代の痕跡が残っていました。

今回は、実際に歩いた順番にご紹介します。

■ 1.泉澤神社

最初に訪れたのが泉澤神社です。

細い道から石段を上ると石造りの鳥居があり、その奥に社殿があります。大きな観光神社ではありませんが、周囲の集落と一体になった昔ながらの鎮守という雰囲気があります。

泉澤神社は、かつてこの地域で「村主明神」と呼ばれていたと伝えられています。現在の神社は、地域の信仰を受け継いできた場所の一つです。

実際に訪れてみると、石段と鳥居が集落より少し高い位置にあり、昔から地域を見守ってきた場所だったことを感じさせます。

■ 2.丸山遺跡と石仏群

次に訪れたのが「丸山遺跡と石仏群」です。

畑に囲まれた一角に大きな木があり、その下に石仏、石祠、五輪塔などが横一列に並んでいます。

この場所が面白いのは、古墳時代と江戸時代以降という、まったく異なる時代の歴史が同じ場所に重なっていることです。

丸山遺跡では、5世紀代の有力者の居館跡と考えられる遺構が確認されています。

一方、現在目にすることのできる石仏群は、それよりずっと後の時代のものです。馬頭観音、地蔵、道祖神、庚申に関係する石造物など、地域の暮らしと信仰を伝えるものが残されています。

古代の有力者が暮らした場所に、何百年も後の村人たちの信仰の痕跡が並んでいる。

そう考えると、何気ない畑の中の一角が少し違って見えてきます。

■ 3.泉沢町に残る小さな石仏

丸山遺跡を離れてさらに歩くと、道沿いに二つの古い石造物が残っていました。

観光案内板もなく、知らなければそのまま通り過ぎてしまいそうな場所です。

左側には舟形の石に彫られた仏像、右側には塔状の石造物があります。

長い年月でかなり風化しており、今回確認した資料だけでは正確な名称や造立年代までは特定できませんでした。

こうした小さな石仏が生活道路の脇に残っていること自体が、昔の人々の信仰が日常生活のすぐ近くにあったことを感じさせます。

■ 4.村主(すぐろ)の泉跡

最後に訪れたのが「村主(すぐろ)の泉跡」です。

現地に着いてみると、現在は泉そのものを見ることはできず、草木の中に「村主の泉跡」と書かれた標柱だけが残っていました。

この場所には、かつて泉が湧いていたと伝えられています。

地域には、湧き出した水が酒になったという少し不思議な昔話や、泉の水が信仰の対象になっていたという伝承も残されています。

現在は水もなく、実際に訪れて確認できたのは標柱だけでした。

しかし「ここに昔、本当に泉が湧いていた」と知ってから見ると、何もない場所にも地域の記憶が残っていることが分かります。

■ 「泉沢」という地名と泉

今回歩いていて気になったのが、「泉沢」という地名そのものです。

この地域は江戸時代には泉沢村と呼ばれており、古い資料には「和泉沢村」という表記も見られます。

そして、この地域には実際に村主の泉という湧水がありました。

そのため、「泉沢」という地名と湧水との間に何らかの関係があったのではないか、と想像したくなります。

ただし、今回確認できた範囲では、村主の泉が直接「泉沢」という地名の由来になったと断定できる資料は見つかりませんでした。

それでも、湧水の記憶が残る土地に「泉沢」という名前が現在まで残っていることは、とても興味深く感じます。

■ 歩いてみて

今回歩いた場所はいずれも、有名な観光地ではありません。

泉澤神社を除けば、知らずに通ればそのまま通り過ぎてしまいそうな場所ばかりです。

しかし実際に歩いてみると、

・古墳時代の有力者の居館跡
・江戸時代以降の石仏や地域の信仰
・湧水にまつわる昔話

と、泉沢町の中だけでもさまざまな時代の歴史に触れることができました。

普段何気なく通っている地域にも、まだ知らない歴史がたくさん残っているようです。

これからも診療とは少し離れて、時々こうした「院長の群馬・前橋散歩」として、地域の小さな史跡や風景をご紹介していきたいと思います。